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その3 【乳がんを患った後藤さんの場合】
──世田谷区在住の後藤さんは、当時50歳の大台を目前にしておりました。

つい6ヶ月前勤務していた会社で、過労で倒れ、おまけに加療通院のとき信号無視の車に突っ込まれ、鞭打ちになり、通院がもうひとつ増えるという最悪の真っ只中でした。
そんな中でもちょっとはホっとする時もあるもので、6月の休みに嫁いだ娘が子供を連れてお見舞い方々遊びに来ておりました。

過労は労災の認定を受けており、鞭打ちも加害者から保険金が支払われていたので、加療に専念しているところでした。
けれども、早半年そろそろ体調も回復、会社へも復帰間じかと勢い込んでいるところでもありました。

娘の「ママ、太ったんじゃない?。」の言葉に笑いながら「そうなの、腕を振ると脇のお肉に触るようになったのよ。」と脇の下に手を当てて上下に動かしたとき、ささやかなおっぱいに、まるで木苺のようなしこりがあることを発見しました。

直感的に『がんだ』と思いました。「常日頃『うちはがんの家系ではない』『がん保険は関係ない』といっていた自分が、触ったとたんに『がんだ』と思うとは思ってもいませんでした。」と語る後藤さん、どんな風であったのか、とりあえず、インタビューを試みて、なにか健康維持のための参考になることを引き出してみたいと思います。


 《木苺のようなしこりを自分で発見》
質問者 さっそくですが、後藤さんにお話をうかがいたいと思います。乳がんという、聞いただけでも怖い感じがするのですが、どんな状況だったのでしょうか。

後藤 私のは右の乳房の脇でした。皮膚のすぐ下に木苺の大きな実を一つ入れたような、ごろごろっていう感じでした。触った途端に血の気が引きました。

振り返ってみれば2〜3ヶ月前から生理でもないのに乳房全体が硬くなるようなことがあったり、いつもとは違う状態がありましたが、少々太ったのと併せて半年ほど休業して体が楽だからと考えていました。

質問者 仕事では何か無理をされたのでしょうか。

後藤 無理ばっかりしてきましたね。無理というより無茶というほうが正しいぐらい。今はしたいとは全然思いませんけど、その頃は『過労で倒れるなんて、かっこいい。』なんて思っていたフシがありました。

質問者 要は、過労が原因?。

後藤 さぁ、どうでしょうか。それにロクに食事していませんでしたね。娘がいた頃は娘のために食事の支度をし、お弁当を作ってという生活を20年近くし続けてきた反動か、娘が結婚したらお役放免といった具合で食事の支度に対して拒否反応みたいになっていました。

『食事がカプセルだったら楽』なんて、食べることに興味が無かった。今は違いますよ。こまごまと作って食べることが楽しい。料理番組も良く見るようになりました。

質問者 特に病気持ちというわけではないですよね。

後藤 アレルギーはありましたね。抗生物質の一部。薬物アレルギーと、そばアレルギー。今でも、しいたけとか、たけのことかうなぎなんかは、すきっ腹では口にしないようにしています。
パッションフルーツのジュースでもなるようです。

質問者 それで、そのあとは?。

後藤 その日は日曜日だったので、次の日、通院していた総合病院にいきました。乳がんなので婦人科だろうと勝手に思って婦人科で診察してもらおうとしたら、『がんは、外科ですよ』とこともなげに婦人科の先生に言われて、外科へ行きました。

質問者 がんは外科なんですか。

後藤 そうなんです。そこで『がんみたいなんですけど』というと先生は笑いながら『そう言って来る人で、本当のがんだった人ってあまりいないんだよね。』といいながら触った顔が、すぐこわばりましたね。

質問者 では、その病院で手術を?

後藤 いいえ、先生はいい方で、一週間後に検査の結果がんが確定したとき、『今、がんの手術で良いと思われるのは、癌研と慶応と東京女子医大ですが、そのどちらかに知り合いの方がいらっしゃるようでしたら、紹介状を書いて頂くといいです。

もし、いないようでしたら、私は東京女子医大の出身ですので、良かったら紹介状を書くことができます。』と言って下さいました。私は一も二も無くお願いしました。10日後には東京女子医大に入院し3日後に手術をしました。


 《部分切除推進の機運に乗って》
質問者 全部摘出したんですか。

後藤 いいえ、その頃東京女子医大は全部摘出が主流でしたが、部分切除を推進しようという機運が高まっていた時期だったようで、幸い『まだ初期であろう』という推測とが重なって部分切除になりました。

質問者 全部摘出と部分切除とではずいぶん違うんでしょうね。

後藤 患者の負担は心身ともにずいぶん違うと思います。
6人部屋におりましたが、乳がんの患者が殆んどでした。私より一日前に手術した方も、一日後に手術した方も全部摘出の方でした。

退院後も通院の日が一緒になるので何回かお会いしましたが、私のほうはコバルト照射が28日間、約3ヶ月だけでしたが、全部摘出した方は、抗がん剤の点滴を一日おきに3ヶ月、その後週ごとに3ヶ月通院しているようでした。

それから投薬を1年。髪の毛が抜け、帽子が手放せなくて、食事に行っても人目を避けているようでした。

プロポリスや、鮫の何とかいう健康食品を飲んでいると話していました。乳房と一緒に胸の筋肉も切り取られてしまうので、『回復するにしたがって、胸に鉄板が張り付いているようにつれて痛い』と言っていました。

質問者 後藤さんはそういった事は無いんですか?。

後藤 がんになると転移を恐れて、当該部位のリンパ節を目視できる範囲で全部取ってしまうそうなんです。私も右脇の下のリンパ節を7つ取ったそうです。

質問者 リンパ節というのは、最近良く耳にするリンパマッサージの、あのリンパですね。

後藤 えヽ、脇の下のリンパ節は人によって違いはあるそうですが、7〜20本あるそうです。つまり私は右腕に行くリンパ液の通り道を7本とってしまったことになります。後何本残っているか、手術した先生もわからないそうです。7本しかないのに7本取ってしまったのか。20本の内の7本なのか。

それで、退院するときには、右手を保護するよう厳しく言われました。
日に当たってはいけません。日焼け=火ぶくれ。雑巾掛けをするときはゴム手袋をしなさい。ガーデニングはやってはいけません。猫や、犬に触るときは引っかかれないよう、噛み付かれないよう注意してください。エトセトラ、エトセトラ・・・。

私は幸い7/20でしたのでしょう。普通の生活には支障はありませんが、ひどい人は夏、半袖で歩いただけで腕が赤紫色にはれ上がってしまった人もいました。つまりリンパ液が通わないので、疲労物質を排除できづらいんですね。

質問者 リンパ節というのは、腕の付け根だけにあるんじゃないと・・・

後藤 足の付け根にもあります。私は乳がんで腕の付け根のリンパ節を取りましたが、大腸がん、子宮ガンの方は足の付け根のリンパ節をとるんだと思います。

質問者 それでは、そういう方は赤紫に腫れるようなことが足におきるんですね。

後藤 そうなんです。腕より足のほうがつらいと思いませんか?。タダ歩くだけでも結構つらいらしい。そういう方は、たぶん見た目を気にしてパンツ(ズボン)を履いているんで見えない。

苦しさが伝わらない。周囲の方は気遣ってあげてほしいと思います。私もだいぶ経っていますが、取り去ったものは生えてくるわけではない。後遺症は残るんです。


 《後遺症対策はお絵描きで、ばっちり》
質問者 その他に今おっしゃったような後遺症というか、術後の「こんなはずでは」というのはありましたか。

後藤 大きく言ったら2つありました。
1つは手が挙がらなくなること。

質問者 え!なんで?。

後藤 そう思うでしょ。さっき、乳房だけを切り取るんじゃ無くて、胸の筋肉も切り取るって言いましたでしょ。
そして縫い詰めてしまうので、今までスッと上げていた手が、突っ張って挙がらなくなります。横にも伸びなくなります。

手術前に「壁のところに立って手をまっすぐに伸ばして一番先のところに印を付けておいて下さい。退院するまでに元通りになるよう努力してください。」とインターンから言われました。

手術3日後ぐらいにみんなでやってみたら、伸ばすと痛いということもあって、頭のちょっと上ぐらいまでしか上げられませんでした。
でも、私は元通りに上がったんですよ。

質問者 え!なんで?。

後藤 不思議でしょ。私も最初はわかりませんでした。切除した分が少ないとはいえ、切ったことには間違いないですからね。でもすぐわかりました。手術後、退屈しのぎに絵を描いていました。

色鉛筆で色付けをしてたんです。クレヨンや、絵の具と違って、色を付けるのに細かく手を動かすでしょう?。それがリハビリになったみたい。私以上にDrが驚いていました。

質問者 何がリハビリになるかわからないもんですね。

後藤 そうですね。でも、切ったりはったりしたら、取り敢えず動かしてみるほうがよさそうですね。
亡くなった母が脳軟化症で倒れた後、意識が戻ってすぐ、手がしびれて気持ち悪かったので、動くほうの手で動かないほうの手をずっとさすっていたら半年ぐらいで元通りとは行かないまでも、他の方よりはずっと早く回復しました。

リハビリなんて言葉も無い時代でしたから、症状が安定するまで絶対安静といわれていましたのにね。
質問者 最近は、動かすように指導するんですか。

後藤 腸の手術をした方が、翌日点滴のぶら下がっているのを杖代りに痛そうな顔しながら廊下を歩いているのを見て、びっくりしました。なるべく早く歩くなどして体を動かさないと、腸は癒着するようです。そういう方は指導を受けて動かしていました。

私は自己流。でも、色鉛筆を細かく動かすぐらいの手の運動なんて、痛くも痒くもないのに、効果はすごかった。ああ云うのやったらいいかもしれないね。


 《コバルト照射の後の熱さにはアイスノンで対応》
質問者 楽して、効果的。いいですね。ほかに、楽して効果的はありましたか。

後藤 効果的かどうかわからないけど、楽するためにやったことがありました。

質問者 どんなことですか。

後藤 コバルト照射というのをやったんです、28回。

質問者 それは、普通ですか。

後藤 初期だから、多分少なかったと思います。
最初、照射するポイントにマーカーで書くんです。正面からと、脇に。で、『お風呂で洗うと消えてしまいます。書き直すのは5.000円です。』って云われて、(その間湯船に入れませんでした。)
それと『照射後、熱かったら、アイスノンなんかで冷やしていいですから・・・』って。これ、何だと思います。照射しないとわからないなぞの言葉でした。

いよいよ照射が始まると、照射した部位が低温ヤケドのような鈍い痛みを感じました。これか、って思って早速病院の売店で、熱さまシートを買ってトイレで貼り付けました。

照射するたびに熱さというか、痛さが増してくるんです。夜眠れないんです。熱さまシートでは間に合わなくてアイスノンの大きいのを冷凍室に入れておいて、背中と胸に当てて冷やしました。

質問者 そんなに冷やしていいんですか。

後藤 どうだったのかしら・・・。

質問者 えっ!!

後藤 私、コバルト照射28回やりました。それ以上は何もしませんでした。熱いときはアイスノンで徹底的に冷やしました。おかげで、ヤケドの跡も無く、照射が終わってすぐに復帰できました。

熱さまシートだけしか使わなかった方は次の年までヤケドの跡が残っていました。照射が終わってからしばらくたっても『熱くてよく眠れない』とダメージがひどいようでこぼしていました。

質問者 抗がん剤とかは・・・。

後藤 ええ、なんにも。

質問者 それで、大丈夫だったんですか。

後藤 ごらんの通り。

がんになってから、いろいろ考えたんです。原因とか治療方法とか・・・。結果として私は食事療法で体質を改善しようと考えて、私の意志で新薬を使うことをしませんでした。

質問者 それで大丈夫なんでしょうか、ね。

後藤 それはわかりません。でも、抗がん剤はお医者さんが、再発した場合のエクスキューズとして使用する、ということもあるように聞いたことがありました。つまり、免罪符のようなものですね。

質問者 それで、使わなかった?。

後藤 そうです。


 《食事療法で体質改善をやってます》
後藤 そのかわり、食事は気をつけて体質改善を進めるようにしました。

質問者 具体的には?。

後藤 たいしたことはしていません。根菜と玄米食にしただけです。

質問者 それで、調子のほうはどうですか。

後藤 そうですね。退院の時にMRIのようなものだったと思いますが、全身チェックをしました。そうして退院しました。

質問者 そのあとは通院されたのですか。

後藤 それが、通院はしていません。食事に気をつけて現在に至っている、というところです。

質問者 医食同源、ですね。

後藤 そんな大げさなものではないのですが、まあ、そうかも・・・。

質問者 それで。

後藤 あとは、別に。

質問者 でも、『がん』だったのだから、・・・何か、特別な・・・。

後藤 食事だけ。それで時が過ぎて、約7年。
この間のことですが、突然、病院から電話が来ました。

質問者 えっ?。

後藤 その後変わったことはありませんか、ということでした。
いわゆるアフターケアでしょうか。

質問者 へぇー。あっ、いや、たいしたものですね。病院も患者のアフターケアをするようになったのですね。

後藤 そうですね。いい傾向だと思いますよ。私の場合は「おかげさまで元気に暮らしております。」ということで終わりました。

質問者 それは何よりでした。

後藤 じつは、そうでもないんです。

質問者 えっ、とういうことは再発の心配でも。

後藤 いえ、そういうことじゃーなくて、つまり、元気になりすぎたって言うか・・・(笑い)

質問者 そういうことでしたら、運動でもしてみたらいかがですか。

後藤 はい。そう思って、最近やり始めました。リンパマッサージもとても効果的ですよ。
それから、余計なことかもしれませんが、このお話はあくまでも私の場合はこうだったということですので、誤解されないほうがよいかと思います。

お医者さんを信頼して手術していただくのですから、決して、お医者さんの言うことを無視してよいということではないですよ。ただ、真剣に考えて、結局は自分で決定する部分がある。

病気は、ある意味、孤独な決断を必要とすることと思っています、原因が特定されていて、処方も特定されている病気は別ですけど・・・。私にとっては正しい決断だった、ということでしょうか。

質問者 でも、よかったですね、いや、ほんとに。
ありがとうございました。

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