| City104kenko|
僕の名前は澤田直人、56歳。
群馬県太田市の近郊で学習塾を営んでいる。
顔写真を掲載してもよいのだが、見たところで面白くはあるまい。
少なくとも、僕は面白くはない。「壁に貼って皆で笑う」のは
バカボンのパパだけにしておこう。ということで、早速始めることにしよう。
2004年12月8日 入院まで 3.2005年5月8日 入院3ヶ月後までNew!
2005年4月20日 入院3ヶ月後まで
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 2005年5月8日 1回目の退院
1回目の退院は11月上旬、入院してから、40日ほど経ってからのことである。
腹膜透析のための手術血液透析が開始された時から、医師は腹膜透析に移行した方がよいだろうという意見だった。

腎臓の機能が比較的残り、カリウムを中心に食事制限も緩やか(果物や生野菜が食べられるようになるという)になるし、透析によって拘束される時間も緩和さ れるからというのがその理由である。

そのためには、小便の出るうちに腹膜透析に移行するのが望ましい。血液透析を始めて、1年もすると、腎臓の機能は失われ、大抵、小便は出なくなるという。

仕事の関係で手術は2月の終りごろを予定していたが、「早ければ早いほうがよい」ということになり、急遽、2月2日に入院し、2月の7日に手術をすることになった。

しかし、入院してものんきなもので、これといって手術の準備があるわけではない。
レントゲンや麻酔の話を聞いただけで、5日は自宅へ戻って休んだ。
そして、7日、手術当日。前の晩に下剤を飲み、朝トイレへ行った。その後、浣腸をすることになっているのだが、以前の検査の時、浣腸をして体調を崩してしまったという経緯があるので、浣腸を中止し、手術中あるいは手術直後、便意を催したらどうしようという不安を抱えたまま、手術に臨むことになった。

朝8時ごろから点滴が始まった。T字帯を着け、エコノミー症候群防止のきついタイツをはき、手術着に着換え、2時間ほどの手術は一時30分に始まった。点滴をつけたまま手術室に入り、手術台に横になると、点滴に麻酔薬が混入されるという指示があったのとほとんど同時に眠くなり、気が付くと手術は終わっていた。時間通り、2時間だったと言うことである。

「傷口は痛いか。」という質問に「痛い」と答え、痛み止めの座薬を入れられたが、実を言うと痛みの感覚は無かった。痛いというよりは、とてつもなく苦しかった。麻酔が会わなかったのだろうか。何度も吐かなければならなかったのである。腹には何も入っていないから、出てくるのは胃液なのだろうか。どす黒い液体が不気味だった。

時間の感覚がなくなり、夜の8時も過ぎて、妻が帰った後も、僕は吐き続けた。のどが無性に渇いたが、水分を摂ることは許されてはいない。それでも、わずかに喉 を潤してはもらえたが、実に辛かった。何度も手を煩わせた看護士には申しわけないと思ったが、やむを得ない。

カテーテルを腹腔に埋めて暫く(1か月)放置しておくSMAP法による手術は僕が入院したときにこの病院では最初に行なわれたから、僕は2番目ということになる。
この方法によると、入院期間が相当短縮されるというメリットがあるという。腹部には3箇所の穴が開けられ、カテーテル(ビニール管様のもの)が入っているらしい。

カテーテルは触ればすぐに分かるし、写真で見ても、一目瞭然であろう。
1ヶ月もしたあと、再度、入院して、カテーテルを体内から取り出し、大量の透析液を注入することになるのだろう。今でもかなり腹部に違和感があり、決して調子がよいとはいえないが、いずれにせよ、腹膜透析のための訓練が行なわれ、やがて、移行していくことになる予定である。

「うまく行かなければ血液透析に戻ればいいんだから。」という仲間から、「自己管理が大変だという話だよ。」果ては、「そんなことをすれば、早く死んじまうぞ。」という仲間まで様々な意見がある。腹膜透析をする患者の数は少ない。

他力本願の血液透析がよいか、それとも、自己管理の腹膜透析がよいか、自分の体を使っての人体実験はうれしくはないが,克明に観察すれば多少は参考になるだろう。

不思議なことに、最近では、血液透析のために針を刺されても、それほど痛みを感じなくなっている。人間の体はうまくできている?ものだと思う。
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