「没後50年 横山大観ー新たなる伝説へ」展の広告が目に留まった。そこには過去、観たこともない作品が紹介されていた。中でも目を引いたのは長さ40mの「生々流転」絵巻である。これほど長尺な絵巻をどのように展示しているのかの興味もあって、開催されている東京・六本木国立新美術館に出掛けた。
今まで、横山大観の作品といえば仏教の根本思想を象徴していると言われている、あどけない子供を描いた初期の代表作「無我」しか印象に残っていなかった。全作品を約1時間近くかけて鑑賞した。作品を時系列的に展示されているので大観芸術の技法等の変遷を分かりやすく捉えることができた。
特に興味を引いたのが東京美術学校での古画模写と、新案による基礎教育によってその後の画家大観の目と手と頭が培われたこと。岡倉天心の教育理念をよく理解した橋本政国の直接の指導の影響も大きかった。「古画模写の場合、いきなり模写することを禁じ、何日でもその絵の前に座って絵の細部まで覚えたときに初めて筆を持たせた」。学校卒業後も模写は続け画家としての財産になったと言う。
この模写について暫くのあいだ頭から離れなかった。それは今後、風景画を勉強していくうえで勇気づけられたからだ。巨匠大観でさえ模写の時代があったことに心の凍土が溶けていくようだった。爾来、「学ぶ」は真似ることだと若い人にいいながら、自分の絵になるとそういうことに後ろめたいものを持っていたので、後から支えられた感じである。
それにしても、気功や呼吸法をやっていたわけでもない大観が人間技とも思えないスケールの大きい画を創りあげたのだろうか?
大観は目と手と頭の三位一体となった時、宇宙のエネルギーが気脈を通して宇宙と渾然と一体となっていたに違いない。巨匠と言われる所以である。旺盛なエネルギーの万分の一でもあやかりたいものである。そしてこの無限のエネルギーを平和のために捧げていただけたらどんなに多くの人々に喜んでいただけたろと思う。
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